ニュージャージー州との交流

最終更新日 2023年12月5日ページID 000800

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福井<----->ニュージャージー州
福井県とニュージャージー州との交流

 

両県州の歴史的なつながり姉妹提携調印式

 

日下部太郎(1845年生まれ)は福井藩最初の留学生として1867年に渡米し、ラトガース大学に学びました。在学中、W.E.グリフィス(1843年生まれ)の指導を受けました。しかし不幸にも1870年に日下部太郎は卒業を目前に病に倒れ、26歳(数え年)の若さで生涯を閉じました。しかしながら、成績優秀のため、卒業資格を授与され、ファイベータカッパ協会の会員に推挙されました。

 日本に深い関心をもったグリフィスは1871年に来県し、藩校「明新館」で化学、物理、ドイツ語、フランス語などを指導しました。また、彼が来県した際、ファイベータカッパ賞のゴールドキーが日下部太郎の父親に渡されました。帰国後、グリフィスは1876年に「皇国」を著し、日本を紹介しました。このように、グリフィスは明治の初期の日本および福井の発展に貢献するとともに、日米交流の草分けとして活躍しました。

 

両県州間の姉妹友好関係  

福井大学とラトガース大学 (1981年(昭和56年)10月)
福井市とニューブランズウィック市 (1982年(昭和57年)5月)
福井放送とニュージャージー・ネットワーク (1988年(昭和63年)8月)
福井県とニュージャージー州 (1990年(平成2年)10月)
藤島・高志高校とニュープロビデンス高校 (1994年(平成6年)10月)
丸岡高校とスポッツウッズ高校 (1998年(平成10年)12月)
県立音楽堂とニュージャージー・パフォーミング・アート・センター (2002年(平成14年)9月)
避暑地にあるホテル 日下部太郎が学んだラトガース大学

 

交流経緯

1987
(S62)
・福井県はケイン知事(当時)に正式に友好交流を申入れ
1989
(H元)
・ラムジー高校へ高校生50名を派遣(以後、毎年)
・「版画に見るジャポニズム展」を福井県立美術館で開催
1990
(H 2)
・ラムジー高校生30名を受入れ(以後1、2年おきに来県)
・福井県の栗田知事とニュージャージー州のフローリオ知事(当時)が姉妹関係樹立に関する協定書に調印(10月12日、ニュージャージー州にて)
・「越前和紙展」をジマリー美術館で開催
1992
(H 4)
・「アフリカン・アメリカン美術展」を福井県立美術館で開催
1993
(H 5)
・「アメリカン・ボーイクワイア」が福井で親善公演
1994
(H 6)
・ニュージャージー州から高校留学生を受入れ(以後、毎年3名受入れ)
・ジマリー美術館に「日下部・グリフィス・ジャポニズム・ギャラリー」開設
・福井県の留学生をニュージャージー州に派遣(以後、毎年3名派遣)
1995
(H 7)
・紙の現代美術展(モンクレア州立大学ギャラリーなど)
・姉妹提携5周年を記念し、「越前陶芸展」を州立美術館で開催
・「ニュージャージー投資セミナー」を福井で開催
1996
(H 8)
・「アメリカン・ボーイクワイア」が福井で親善公演
2000
(H12)
・姉妹提携樹立後十周年という節目の年に、ウイットマン知事(当時)を団長とする州政府訪問団61名が来県
2002
(H14)
・栗田知事がニュージャージー州を訪問、マグリーヴィ知事等と会談
・県立音楽堂5周年記念式典に ニュージャージー・パフォーミング・アート・センター(NJPAC)のゴールドマン館長が出席、県立音楽堂とNJPACとの姉妹館提携書に調印
2023
(R5)
・ニュージャージー州との交流・協力に関する覚書(MOU)締結(10月16日(月)) 締結式の様子
 
日下部・グリフィス・ジャポニズムギャラリー
ラムジー高校生の武生東高校での交流
越前和紙展
5周年を記念して行われた越前陶芸展

 

ウィットマン知事(当時)と栗田知事(当時) マグリーヴィー知事(当時)と栗田知事(当時)
ウイットマン知事(当時)と
栗田知事(当時)
マグリーヴィ知事(当時)と
栗田知事(当時)
 
ニュージャージー州の概要
 
 概   説
 メガロポリスの影の州(the Shadows of a Megalopolis)および庭園州(Garden State)と呼ばれるごとく、ベッドタウンとして、また、ニューヨーク、フィラデルフィアなどの大都市に野菜や果実を供給する州として知られている。
 また、AT&Tベル研究所をはじめ、多くの研究所があり、ハイテク産業のメッカでもある。また、情報・交通網が整備されている。マリーンスポーツ、アウトドアライフ、スキー、ゴルフなどが楽しめる観光リゾート地帯でもある。
 
 歴   史
 17世紀ごろ英国領になり、コネチカット、ニューヨーク、ニュージャージーに分割。西部はフィラデルフィアと結び付き、東部はニューヨークの勢力圏となり、ピューリタン的色彩が強かった。独立戦争当時、重要な役割を果たす(トレントン、プリンストンの戦い)。 19世紀中ごろまで農業州だったが、その後、商業、製造業州へと変化し、発展する。 1787年に州として認められ、現在21のカウンティ(郡)からなる。
 
 地勢・面積

 西と南はデラウェアー川で、北東部はハドソン川、大西洋で区切られている。面積は22,590km2(福井県の約5.4倍)で50州中47番目。北西部は森林、渓谷、湖で北中央部は平野である。北緯41度。

 気   候
 温暖湿潤である。年平均気温は12度内外で、年間平均降水量は1,000~1,100㎜
 
 人   口
 約929万人(2020年現在)
 全米一の人口密度
 州 知 事
 フィル・マーフィー知事(民主党・2018年1月~)
                    州のホームページ【英語】
 シ ン ボ ル
 黄金ヒワ(州鳥)、紫スミレ(州花)、赤ガシ(州木)
 主要都市
 トレントン(州都)、ニューアーク、カムデン、パターソン、エリザベス、ジャージーシティ、ニューブランズウィック、プリンストンなど
 
 国際交流
浙江省(中国)、エミリオ・ロマーニヤ地方(イタリア)、イスラエルとの姉妹友好交流がある。
 
 産   業
工 業:
医薬品産業、化学産業、ゴム・プラスチック、計器関連、石油・石炭関連製品、食品関連
農 業:
果樹、野菜などの近郊農業が盛ん。ブルーベリー、クランベリー、ほうれん草、ジャガイモ、トマト、アスパラガス、桃、こしょうなど
牧畜業:
馬、乳牛の飼育、養鶏が盛んである。
 交通・運輸
東部流通の中枢。ニュージャージーの高速道路密度は全米1位。鉄道網全米1位。ニュージャージー・ニューヨーク港湾群は米国最大の海運基地。ニューアーク、アトランティックシティ国際空港など、大小60の空港がある。エリザベス港は米国最大のコンテナターミナルのひとつとして拡大している。

福井からは関西国際空港からニューヨークに飛び、そこから列車でトレントンまでは1時間程度で行ける。成田空港からはニュージャージー州のニューアーク空港の直行便がある。

 対外貿易
化学・非電機機械、電気・電子機械、食品・石油製品など。
 
 投資環境
販売業務を行う日系企業が多いのが同州の特色で、流通センター、販売拠点、全米本社機能として進出している。自由貿易地帯(Free Trade Zone)も3箇所ある。
 
 観 光 地
アトランティック・シティ(総合リゾート)、グレート・アドベンチャー(野生動物園)、ケープメイ(ビクトリア風建物)、エジソンの家・博物館など
 
 大  学
プリンストン大学、ラトガース大学、ニュージャージー工科大学、スティーブンス工科大学をはじめとする約 60の大学がある。また、日本研究は、プリンストン大学東アジア学部、ラトガース大学アジア研究学科等で行われている。
 
 ニュージャージー州の地図
 ニュージャージー州の地図  

 

 

 

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