由利公正広場について
由利公正広場全景
県では、県都デザイン戦略の目指す、地域の歴史を実感できるまち並みを形成するため、幕末・明治初期の偉人の旧跡を巡るまちなか散策スポットとして、由利公正居宅跡に近い足羽川の幸橋南詰上流側に由利公正広場を整備し、平成26年3月29日(土)に完成式を行いました。
由利公正は、福井城下毛矢町に生まれ、幕末の福井藩の財政立て直しや五箇条の御誓文の原案となった「議事之体大意」(ぎじのていたいい)を作成するなど、福井だけでなく近代日本の国づくりに大きく貢献しました。
まちなか散策の際に、郷土の偉人を偲ぶ場所としてぜひお立ち寄りください。
※由利公正広場について紹介した広報番組はこちら(まちかど県政(県の広報番組)へのリンク)
由利公正とは
(「子爵由利公正伝」より)
由利公正は、幕末・明治期の政治家です。
文政12年(1829)、現在の福井市毛矢1丁目に福井藩士三岡義知の長男として生まれました。初め石五郎、後に八郎、公正と改名しました。また、明治3年(1870)以後は、先祖の旧姓の由利を名乗りました。
横井小楠(よこいしょうなん)に師事し、藩の財政建て直しを含む、藩政の改革に貢献しました。
明治新政府の成立後は太政官札(新政府の発行した最初の紙幣)を発行するなど、財政基盤の整備や、「五箇条の御誓文」の原案となった「議事之体大意」を作成しました。
その後、東京府知事となり、銀座通りの整備等を行いました。
また、民撰議院設立建白書にも名を連ね、明治42年(1909)に、81歳で亡くなりました。
広場整備内容
・由利公正像
銅像と台座(御影石)は、昭和59年にライオンズクラブ国際協会334-D地区の記念事業として、福井市中央公園に建立されたものを移設
銅像の目線は、公正の恩師である横井小楠の寄留宅跡(幸橋北詰下流側)の方向
台座前面の銘板は、公正の直筆の署名をもとに製作
平成26年11月11日(旧暦の11月11日は由利公正の誕生日)から夜間のライトアップを実施中(日没~23時30分まで通年)
由利公正像 台座前面銘板
・議事之体大意展示板
五箇条の御誓文の原案となった「議事之体大意」(福井県立図書館蔵)を展示
土台には特産の笏谷石(しゃくだにいし)を使用
・周辺観光案内板
周辺の主要な歴史資源を紹介
周辺主要観光地のご案内(福井市役所ホームページ、福いろへリンク)
・北の庄城址・柴田公園 ・西光寺 ・水道記念館
・愛宕坂 ・橘曙覧記念文学館 ・愛宕坂茶道美術館
・ベンチ3基
土台に特産の笏谷石(座面は御影石)を使用したベンチも設置
・植樹
銅像を引き立てるため、背後に常緑樹のシイとカシを配置
・自然石舗装 等
これまで広場での取組み
広場を訪れる皆様にお楽しみいただくためのこれまでの取組みをご紹介します。
【ライトアップ】(通年)
ライトアップ(H26.11.11~)
【鯉のぼり掲揚】(4月下旬~5月上旬)
(H28.4.22~5.11) (H29.4.24~5.11)
(H30.4.23~5.11) (H31.4.25~R1.5.12)
【幕末の福井城下の七夕飾り展示】(6月下旬~7月7日)
(H27.7.1~7.7 協力 福井市明倫中学校)
(H28.7.1~7.7 協力 福井市明倫中学校)
(H29.6.30~7.7 協力 福井市明倫中学校)
(H30.7.2~7.7 協力 福井市明倫中学校)
(R01.7.1~7.7 協力 福井市明倫中学校)
(R02.7.1~7.7 協力 福井市明倫中学校)
(R03.7.1~7.7 協力 福井市明倫中学校)
地図
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アンケート
より詳しくご感想をいただける場合は、kotsuka@pref.fukui.lg.jpまでメールでお送りください。
お問い合わせ先
新幹線・交通まちづくり局交通まちづくり課
電話番号:0776-20-0774 | ファックス:0776-20-0729 | メール:kotsuka@pref.fukui.lg.jp
福井市大手3丁目17-1(地図・アクセス)
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