一乗谷朝倉氏遺跡埋蔵金発掘プロジェクト始動。
一乗谷朝倉氏遺跡埋蔵金発掘プロジェクト
2024年春の北陸新幹線福井・敦賀開業、2022年秋の一乗谷朝倉氏遺跡博物館開館に向けた、福井県エイプリルフール企画
(本企画は4月1日付東京新聞全面広告でもご覧いただけます。)
※当該ホームページの掲載内容については、十分ご留意して閲覧ください。
一週間で滅亡した戦国大名・越前朝倉氏
使いきれなかった財宝200億円を隠した場所が今明らかに。
古文書の発見、屏風絵の持ち去られた一部が返還。
全てがそろった時に、埋蔵金の場所が浮かび上がる。
百余年の栄華が、一週間で滅亡。作り話で終われないはかない物語がある。
朝倉氏は、初代、孝景から五代百三年にわたり、一乗谷を拠点に越前国を支配した大名です。石高は六十八万石といわれ、雑収を含めた利益は年間四十億円と想定されています。財力に導かれ、京都からは多数の文化人が来訪。足利十五代将軍義昭が招聘され、明智光秀は家臣となりました。しかし、1573年、織田信長に大敗すると、その後一週間で滅亡。財宝・二百億円は使いきれなかったとされ、古くより発掘が行われてきました。
新たな古文書が発見され、朝倉氏遺跡埋蔵金課に光が差し込んだ。
福井県が主体となった発掘が開始されたのは、1967年。同年、担当課として朝倉氏遺跡埋蔵金課が誕生し、活動を展開。しかし、それから約五十年の歳月を費やして調査を行うも埋蔵金は出土せず、福井県としては課の解体も視野に入れ始めていました。そんな時、埋蔵金の決定的な在り処を示す一冊の古文書が発見されたのです。奇しくも、遺跡を世界に発信すべく建設されていた、一乗谷朝倉氏遺跡博物館の建設予定地内でした。
古文書から解明された埋蔵金のありか
一乗谷朝倉氏遺跡博物館の建設予定地から発見された古文書の「朝倉始末記」によれば「百年貯めた財産を誰にも渡してはならない。瓜割清水から北の櫓に財産を埋めて隠せ」と記載されていることが判明。
屏風絵から判明した「北の櫓の位置」
越前朝倉氏の5代当主朝倉義景時代の一乗谷を描いた屏風絵の一部が失われていることは、関係者の間で長年の謎と言われてきました。この度、その一部が県に届けられたことから、研究が進みました。
ついに、朝倉始末記に書かれた北の櫓の名称と場所が正確に判明!
屏風の左上にご注目ください!
1967年から続いてきた発掘。第十二期の発掘隊員募集へ。
半世紀前の発掘開始時から常に重要な役割を果たしてきたのが、公募により集った発掘隊員です。埋蔵文化財として高い評価を持つ一乗谷朝倉氏遺跡では、極めて緻密な作業を強いる一方、埋蔵金を最初に発見した際の報酬が設定されてきました(過去の報酬獲得者は無し)。
<埋蔵金発掘隊・応募資格>
・18歳以上
・高校生、大学生、専門学校生など在学中の方は除く
・福井県に興味があること(一乗谷朝倉氏遺跡が好きな方は優先採用)
・任期5年間
※定員になり次第、締め切らせて頂きます。
一乗谷朝倉氏遺跡博物館を建設
県では、埋蔵金のありかが判明したことから、埋蔵金が発掘される前に一乗谷朝倉氏遺跡博物館の建設に着手。埋蔵金だのみで整備を進めています。
博物館の新着情報は以下に記載しています。
※本企画は2022年4月1日のエイプリルフール企画です。朝倉氏遺跡埋蔵課などは存在しません。
本企画をお楽しみください。
2022年10月、一乗谷朝倉氏遺跡博物館がオープン(ここからは本当です。)
一乗谷朝倉氏遺跡博物館の見どころをご紹介します。
(1)石敷遺構展示
平成29年(2017年)の発掘調査で発見された川湊「一乗の入江」の道路あるいは船着場と考えられる遺構をそのまま露出展示。
(2)巨大ジオラマ
城下の町並や当時の人々の動き・表情を1/30スケールで細かく表現
(3)朝倉館原寸再現
全国で唯一、戦国大名の居館の一部を原寸再現し、朝倉義景と同じ視点で当時の行事等を体験が可能
アンケート
より詳しくご感想をいただける場合は、shinkansen-kaigyo@pref.fukui.lg.jpまでメールでお送りください。
お問い合わせ先
新幹線開業課
電話番号:0776-20-0546 | ファックス:0776-20-0381 | メール:shinkansen-kaigyo@pref.fukui.lg.jp
福井市宝永2丁目4-10 宝永分庁舎2階(地図・アクセス)
受付時間 月曜日から金曜日 8時30分から17時15分(土曜・日曜・祝日・年末年始を除く)